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2020/09/21 08:02

THISONEインタビュー企画第二弾!


THISONE先行リリースのアルバム「ZoologicalpeaK LP」を

KLOVAL RECORDSからリリースした

KNGOとZooyaの二人にお願いしました。


普段から話長めのKNGOと、普段は口数の少ないZooya。

リラックスした雰囲気で中々深いところまで突っ込めたかなと思います。

ちょっと長いですが2人の人柄が良く出ているので

是非読んでください!


※このインタビューは8月中旬に行われました。




ーーーーーーーーーー

THISONE(以下T) : まずは自己紹介からお願いします。


KNGO(以下K) : RAPとDJを担当しているKNGO a.k.a. DjCromartieです。

Zooya(以下Z) : RAPとDJを担当しているZooyaです。あと後ほどトラックメイクを担当しているGothamも来るかも、、です。


T : 2人のZoologicalpeaK結成前の活動を教えてもらえるかな?


K : 高校の仲間と卒業イベントでライブしたのが最初ですね。

当時はライブをどのくらいの時間やればいいのかもわからなかったんで初ライブで7曲も歌いました(笑)。

卒業してからSOUTH EASTとして4人で町田VOXで活動するようになって、

今回のアルバムでMIXを担当しているトシロもメンバーでした。

当時はSNSもないし見本もなかったので全部雑誌とかを見て手探りでやってる状態でしたね。

時間がたってなんだかんだトシロと2人だけになってtheSOUTH EASTに改名して、

それが2006年くらいでやっと本格的にラッパーとして活動をはじめたキャリアのスタートです。

2009年に”ORIGINAL SOUND TRACK”というアルバムもリリースしたんですけど

2010年にはtheSOUTH EASTも解散してしまってそれからはソロで動き出しました。

曲作り、ライブ、サイドMC、イベントオーガナイズ、色々やったんですけど

結局自分がやりたいのはHIPHOPそのものだって気づいて、

6年前くらいにTHISONEが出来て、DJとして誘ってもらうようになってからDJとしても本格的に活動をスタートしました。


T : その前にもうDJとしてやり始めてなかったっけ?

MARIO(ZoologicalpeaK LPにも参加しているSATO MARIO)に最近周りに良いDJいないかな?って聞いた時に「Yanoasayin’とCromartieかな。」って言われたのをすごい覚えてるんだけど。


K : やってはいたんですけど家でやったりイベントのオープンで回したりって感じで趣味感覚だったんで助っ人的な意味で名前もDjCromartieってつけてたんですよね。

ラップがメインだったので大々的にDJって名乗るのを躊躇してた部分もあったんですけど

THISONEの大さん橋のイベントに誘ってもらった時に、やっと自信を持ってDJって名乗ってもいいのかなって思いました。この面子の中で回せるんだなって。(笑)

DJとしてはMIXもフリーも含めたら5作品リリースしてます。

ラッパーとしてもちょこちょこライブはしてたんですけど作品をリリースするところまではいかずそんなところでZooyaと久しぶりの邂逅って感じですかね。


Z : 自分は小学校5年生の時に公園で友達に聞かされたキングギドラの未確認飛行物体が

最初にHIPHOPに触れた体験ですね。

それがとにかく衝撃でそれからさんぴんキャンプのVHSを借りてひたすら見てました。

Pricelessのリリックまんまって感じですね。

それがきっかけで最初はラッパーに憧れてたんですけど中学に入ってからZEEBRAさんとかRICOさんのラジオを聴いてDJやりたいなって変わってきて、

高校に入ってバイトしてすぐにターンテーブルを買ってレコード買い漁るようになりました。

DJは家で趣味でやってる程度でしたけど高校で友達にMIX TAPEを渡したりラジカセで鳴らしたりして遊んでましたね。

そこから次はレコーディングエンジニアに憧れてそっち系の専門学校に行って、

その時に機材を買ってトラックも作り始めました。


T : クラブでDJをやり始めたのはいつだったの?


Z : それは専門学校に行きながら本厚木DAZZで始めたのが最初ですかね。

KNGO君と初めて会ったのもその頃です。

自分がトラックを作ってる事に興味もってくれて話をしたのが最初で。

その時にSALU君もちょうど北海道から上京したてくらいでSALU君とも何曲か作ったりしました。

ただ本格的な活動はせずのらりくらりとやっていて、

そのまま就職、20代半ばで結婚もして私生活が大変になってDJもやれなくなってしまってHIPHOPからは遠ざかる生活になっちゃいましたね

そこで1回夢を諦めてもうHIPHOPを聞くことすらやめてしまいました。

かなり内に籠った生活になっちゃいましたね。

なんですけどそれから5年ぐらいして、色々あって家庭の状況が変わって1人の時間が増えるようになったんです(笑)。

そのタイミングで地元のさがみ野にあったSKUNKってBARでイベントをやってるって言うのを知って通うようになりました。

そこでDJもやらせてもうらようになってKNGO君と同じイベントで再会しました。

たぶん10年ぶりくらいですかね。

そこで色々と話をしまして、

まだトラックを作ってるなら一緒にやらないかって言ってくれて、

たまーに気が向いた時に作っていたトラックをKNGO君に送ったのが2人で作り始めたきっかけですね。

その頃に自分でラップも乗せ始めていて、

それをKNGO君に送ったらすぐにラップが返ってきて。それが3曲続いたんですね。

これはもう形にしようと。すごいのが出来たんじゃないかって(笑)。

それが2019の夏くらいです。


T : そのときはまだユニット名もない状態だったんだよね?


Z : はい。ちょうどそろそろ名前を決めようかって時に

KNGO君がDJするって言うのでSMOKIN’ IN THE BOYS ROOM主催のFLY OVER(at MACHIDA CLASSIX)に遊びに行ったんですね。

正直その時は友達もKNGOくんしかいないし舐達麻を目当てで行ったんですけど。

その時に見たSATO MARIO君のLIVEが本当にやばくて今まで忘れてた感覚が蘇ってきたんですよね。

その後、SMOKIN’が出て来た時にすごい会場が盛り上がってて。

ACEさんが「この後舐達麻出るけど町田のみんなも負けてないよな?」

って言ったときに「ウォー!!」って客席からすごい雄たけびみたいのが上がってそれが衝撃的で。

町田にこんなシーンがあるんだなって、このシーンに加わりたいなってその日に強く思いました。

あのパーティーを機にさらに強くやる気が出ましたね。


T : そこからEP製作までの流れはどうだったの?


K : とにかくZooyaの製作スピードが早くて。

すぐにアルバムって流れでも良かったんですけど

Zooyaだけどんどん書けちゃって自分が間に合わないって流れも見えてたんで1回区切りを入れようと。

まだ誰も自分たちの事を知らないので挨拶代わりのEPを出さないかって話をしました。




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